カウンター越しの生ドラマ

母の新盆ということもあり、弟もハワイから一時帰国。

集まれる家族と友人、知人で迎え火、送り火を行いました。

母の思い出話に花を咲かせているうち、昔よく通ってたうなぎやの話題になりました。

それは、「あの、こうのってさあ。前通ったらまだやってたで~」との発言がきっかけとなり、

みんなで行こう!という運びに。

その場でこうのに電話。

かつて足繁く通ってた者で代わる代わる電話を回し、私に受話器が回ってきました。

「聖子です。覚えてます?何年振りかな~」

「せいこちゃん?」

と、懐かしい東北訛りのマスターの声を聴いた途端、長いブランクが一瞬にして埋まりました。

「きこさん、元気?」とマスター。

「・・・実は、亡くなったんです。それで、みんなで行こうということになって・・・」

そんなこんなで、うなぎツアーを組み、

いざ、こうのへ!

暖簾をくぐると、タイムスリップしたかのよう。

昔のままのカウンターと小さな座卓が2つ置かれていて、カウンターの中で、はにかむマスター。

懐かしさのあまり、飲み物を注文することも忘れプレトーク。

一体、いつから来てないんだろう。

ふと、柱を見ると、娘の背丈を測った時の線と日付が書かれていて、

平成5年の記録でした。

25年前!

そして、なんとマスターは来客日誌をつけていたとかで、私にプレゼントしてくれました。

主客は、母こと、「喜久子さん」

日付、誰と来たか、どんな話をしていたか・・・が書かれています。

しかも、美しい文字で。

看板やお品書きの書はすべてマスターが書いたとか。

エステ業にカルテは欠かせませんが、うなぎ屋さんで来客日誌を付けていたとは驚きです!

母は大切な人は、ほとんどこの”こうの”に連れて来ています。

当然のことながら、私や娘の名前の登場率は高く、

その他にもかつて母が事業をしていた時の従業員、知人、踊り仲間、仕事仲間の名前が書かれていました。

しかし、その日誌は平成19年で終わっていました。

そして、赤い文字で、

11年来ていない・・・

と、記録されていました。

来ていない人の日誌をずっと大事にとっておいて下さったのかと思ったら、うるうる。

てか、もしや、マスター! きこさんに惚れてた?

て聞いたら、「きこさんが、僕に惚れてたんだと思う」と、ナイスな返し。

それも一理あるかも。

マスターのおもてなしに惚れていたからこそ、大事な人ほど連れて行きたがっていた母。

マスターたら、母がずーっと前に忘れていった少々黄ばんだ資生堂のリップクリームまで取ってあって、

私に渡そうとするので、

「良かったら、マスター使って下さい。時を超えて、きこさんと間接キッス!ね。」

また、はにかむマスター。

38年もの長い年月、うなぎを焼き続けてきたマスター。

いつも着ている白いシャツはクリーニングに出さず毎日自分でアイロンをピシッとかけ、

不思議とその真っ白なシャツにはたれのシミもなく、

仕事が終われば、美しい文字で日誌を付け、

はにかむ笑顔でまた次の日もお客様をお迎えする・・・

うなぎ道を弛まなく来たよね。

少なくても、カウンター越しに母のドラマチックな人生を観てくれていた生き証人。

なんて、ちょっといい話になってしまったやないか。

あ、そうそう。

うなぎを食べに来たんだっけ。

う~ん、うまい!ジューシー!

うなぎやのマスターを主役に映画が出来そう・・・

是枝監督、どうですか?

あ、ところで、マスターから母にとご仏前を頂きました。

そこには、「中村準一」と書かれています。

弟とタクシーの中で「河野さん」じゃないんだ~と。

今度行った時、どうして”こうの”と名付けたのですか?

と聞いてみよう。

マスターのドラマチックな人生、見えるかも。

翌日、来客日誌をカバンから取り出し、コピーしようとしたら・・・

うなぎのたれの香ばしい香りが辺りによみがえり、ドラマのリプレイです・・・